2004年

ーーー6/1ーーー ウイスキー樽ランプ  

 今週の金曜日に開幕する展示会に出品する作品のうち、目新しいものをここにご紹介しよう。

 写真はウイスキー樽の廃材を使ったランプである。今回の展示会の、ある意味で目玉の一つである。

 ちょうど一年ほど前になるだろうか。サントリーが樽の廃材を再利用して、家具を作って販売しているという話を聞いた。関連のサイトを覗いてみたら、樽の廃材そのものも販売しているとのことだった。単に興味本位で、取りあえず10枚ほどの板を取り寄せた。使うあては無かったが、樽材がどういうものか、手に取って見たかったのである。届いた樽材は、ほのかに甘いウイスキーの香りがした。

 板を注文する手続きをしたとき、巾広の板は「ダボ穴あり」と表示されていた。私は巾広の板の方が使い道が多いと思ったので、全てを「ダボ穴あり」で注文した。ダボ穴がどういうものか、木工の一般常識でしか考えなかった私は、板の縁に直径1センチほどの穴が数個開いている程度を想像していた。ところが、届いた板は全て、中央に直径5センチほどの大きな穴が開いていた。私はサントリーの担当にメールを入れて、この大きな穴は何のためのものかとたずねた。答は「樽からウイスキーを取り出すための穴です」とのことだった。つまり、一個の樽に一枚しか無い板なのである。それを集めて巾広材として販売していたのであった。

 さて、樽材は私が想像していた以上に使いにくい形状であった。何か気のきいた小物家具でも作れれば良いと考えていたのだが、この材では無理なように思われた。こうして樽材は、材木倉庫の中に放置されることとなった。

 今年になって、展示会の話が持ち上がったとき、企画をまとめてくれた詩人の佐々木幹郎氏が、「大竹さん、あのウイスキーの樽の板で、ランプでも作れないかな」とおっしゃった。そして、いくつかのアイデアを示して下さった。ちなみに佐々木氏はシングルモルト・ウイスキーの愛好家で、その方面にはめっぽう詳しい御仁である。

 私は良く考えもしないで、簡単に引き受けた。しかし、実際に取りかかると、これは難作業であることが判明した。樽の板は寸法がまちまちで、曲りの具合にも差があり、さらに樽からバラされて乾燥する過程のことであろうか、ひどく捩じれているものが多かった。しかも、外面は汚れがしみ込んでいる。おそらく私の年令以上の長きに渡って使われていた樽である。汚れの程度は並ではない。そして内面は黒々と焦げており、炭のようになっている。

 ウイスキーは、貯蔵されている過程で樽から影響を受けて香りや色が着く。樽の内側をバーナーであぶって焦がすのも、そのための一つの手段なのである。

 焦げて真っ黒になっている材など、工房に入れることすら抵抗がある。汚れが他の関係ない材木に飛び火したら、えらいことである。そこで私は、屋外で板の内側に金ブラシをかけ、徹底的に焦げを落とした。そうしてから、工房に運び入れ、形の検討に入った。

 上に述べたように、板はそれぞれ不定形に歪んだ形をしている。それらをまとめて組み立て、立体を作るのは、具体的にディテールを考えると、ひどく困難なように思えた。当初は、上下に円盤を設け、それを連結する形で板を縦に並べようと思った。しかし、円盤との接続部をどうしたら良いか。何でも良いから繋げろというのなら、やり方もあるだろう。しかし、それなりにまとまった納まりにするとなると、かなり苦しくなる。

 段ボールを加工してモデルを作り、いろいろ試しているうちに、例のダボ穴を中心にして接続することを思い立った。さらに、板を裏返して使うことが頭に浮かんだ。金ブラシで丁寧に焦げを落とした板の内側は、日本の木工芸の世界で昔から伝わる「うづくり」のようで、渋い味わいがある。汚れだらけの外面よりは、よっぽど整った美しさがある。どうせ廃材を使うなら、なるべく削ったり加工したりしないで、そのもの自体の風合いを生かそうと思っていた私にとって、この裏返しの発想はピタリときた。板の外面は逆に内側を向いて並ぶわけだから、汚れやチョークの跡などはほとんど目立たなくなる。そして、廃材の雰囲気は伝わって来るというわけだ。

 このようにして出来たのが、ウイスキー樽ランプである。自宅で試しに使ってみたら、なかなか雰囲気が良い。他のお宅にも持参して使ってもらった。室内はもとより、夜になって樹下のベランダに置いても実に良いとの感想を戴いた。戦国時代のかがり火のようだと形容する人もいた。実に何とも言えない雰囲気をかもし出す品物だとの評判であった。

 展示会には、同じ形のものを二台展示することにした。一つは室内に、もう一つは坪庭に置くことにした。このギャラリーは、夕闇が迫る頃に素晴らしい表情を見せる。そこにこのランプたちが灯をともす。どんなに素敵な空間になるだろう。

 ぜひご来場のうえ、その雰囲気を感じていただきたい。




(お断り) 来週は私が東京の展示会に詰めていますので、「週刊マルタケ雑記」は休載とさせていただきます。



ーー−6/15−ーー 尾山台の10日間

 東京は尾山台に於ける10日間の展示会が終了した。

 グルノーブル・オリンピックを記録した「フランスの13日間」という映画がある。邦題が「白い恋人たち」と聞けば、思い出す人も多いだろう。クロード・ルルーシュ監督の詩情あふれる映像と、フランシス・レイの音楽が見事に調和した、印象的な映画である。

 展示会の最中、私はこの映画を思い出していた。展示会は私にとって「尾山台の10日間」であった。

 一言でいうならば、とても楽しかった。自分でやっていて、これほど楽しい展示会は、かつて無かったと思う。展示会というものは、期待と不安が入り混じり、気苦労が多く、たいへん疲れるものである。過去の展示会は、正直なところ毎日会場へ出向くのが嫌になるほどプレッシャーを感じたものであった。少なくとも、毎日が楽しいという感じではなかったのである。

 今回は、毎日会場へ行くのが楽しみであった。いろいろな出会いがあり、様々な交流があった。作品に対するご来場者の反応もたいへん良く、嬉しかった。しかも、過去の展示会では考えられなかったほど、多くのご契約があった。自分の作品の前で、毎日楽しい時間を過ごし、しかも生活の糧を得られる。こういうのを作家冥利に尽きるというのだろう。

 楽しさの背景に、このギャラリー「AU HASARD」の良さがあることは間違いない。フランス語の辞書で調べたら「行き当たりばったり、でたらめ」という意味だったので、おかしな名前のギャラリーだと思ったが、オーナー女史に聞いたら「偶然から生まれる必然」というような意味の、有名な言葉が由来とのことだった。この展示会も、偶然のごとくいろいろな事が起き、それが一本の糸につながっていくような感じであった。オーナー女史の人柄と、スペースの雰囲気が、この魔法を演出していたに違い無い。

 詩人の佐々木幹郎さんには、感謝の言葉がみつからないほどお世話になった。まず、この企画を提案していただいた。ギャラリーを紹介していただいた。準備の途中で様々な助言をいただいた。作品のヒントもいただいた。さらに、閉幕前日には詩の朗読会を開催していただいた。朗読会の冒頭で、私の椅子に寄せた詩を詠んで下さった。私は感極まる思いであった。

 展示会が終了した翌日、一日がかりで会場を撤収し、夕刻展示設備を満載した軽トラックで東京を後にした。中央高速を走りながら、奥多摩の山々の向こうに沈む大きな夕日を見た。美しい夕暮れであったが、私は一抹の寂しさを感じながら、その光景を見ていた。楽しいことが、いずれ必ず終わってしまうのは、仕方のないことなのに。

 「フランスの13日間」のラストに、こんなせりふがある。「楽しかった13日間は終わり、人々は普段の生活に戻って行く。しかし彼等は思い出すだろう。愛しあった13日間の日々を・・・」




ーーー6/22ーーー 東京と信州

 展示会のため、東京に12日間ほど滞在した。あらためて東京の便利さに驚いた。ちょっと買い物をするにも、自家用車で行くしかない南安曇郡穂高町とは大違いである。様々な商店があり、レストランがあり、公共施設がある。電車や地下鉄は網の目のように発達し、夜中になっても帰りの足を心配する必要がない。元東京人の私でも、しばらくぶりに訪れると、この都市の便利さには目をみはってしまう。

 12日ぶりに穂高町へ帰って来たら、緑の多さに圧倒された。山、森、林、水田の緑である。ふだん何気なく見ている景色も、少し間をおくと新鮮に見える。空以外は全て緑色と言えそうな、南安曇郡の梅雨の晴れ間の景色。自宅の回りにも、緑があふれていた。雑草も、伸び放題に茂っていた。美しいという言葉では表現しきれない、自然の営みのパワーである。そんな緑の洪水を目にすると、何故か気持ちが落ち着いた。

 都会に憧れて東京へ出て行く地方人。地方に憧れて東京から越して来る人々。この二週間ほどの間に、その両方の気持ちを味わったような気がした。



ーーー6/29ーーー 白州蒸溜所見学

 
知り合いの方に誘われて、山梨県にあるサントリーウイスキー白州蒸溜所を見学に行った。その方のコネで、チーフブレンダ−のM氏に案内をしてもらった。普通の見学者では入れない場所も見せてもらった。最後にゲストルームで、さまざまな製品ウイスキーと原酒のテイスティング(利き酒)もさせてもらった。酒好きの私にとって、最高に楽しい一日であった。

 製造工程の詳しい説明を聞いて、ウイスキー作りもたいへんデリケートな仕事であることが理解された。例えば、ポットスチルと呼ばれる蒸溜釜がある。その形のわずかな違いによって、製品の味や香りが違ってくるという。また、ある年月使用した樽は、鏡板(樽の両端の円形の板)を外して、もともと焦がしてある樽の内側に火を付けてもう一度焼く。その焼き加減や、火の消し方によってもウイスキーの味が違ってくるとのことだった。

 様々な工夫をして、最高の品質を追求するのだが、その結果が出るのは数年後、あるいは数十年後である。蒸溜所の奥の林の中には、中学校の体育館よりも大きい建物があった。貯蔵庫である。中に入ると、何万という数の樽が整然と棚の上に並んでいた。その貯蔵庫が、22棟あるとのことだった。膨大な量のウイスキーが、赤松の林の中で、時が経つのをひっそりと待っていた。

 テイスティングの最後に、ゲストルームの片隅に安置されている樽の栓を抜き、その中の原酒を飲ませていただいた。栓を抜いた穴から樽の中を覗くと、濃い色の液体がなみなみと満たされていた。白州蒸溜所で作られた、30年ものの原酒である。ウイスキー作りに携わる技術者たちの、努力の結晶であろう。その液体は複雑にからまった、しかし典雅な香りで、私を陶然とさせた。




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